001.png

008.png

2021-07-01

005.png


006.png

HOME > Essay

近代デザイン史の骨格をつかもう

一級建築士学科I「計画」の初学者向けレクチャの経験から(facebook書き込み),2018.4.26

.
今日は、「近代デザイン史」(18c~)の初学者向けレクチャの話題を。

最初は、産業革命後の「イギリス」から。
「ウィリアムモリス」が「アーツアンドクラフツ運動」をスタート。
同業者の組合を作ったり学校を作ったり、と、工業時代の新しいデザイン規範を模索。
もっとも、うまくいかなかったことも多かった。
世界最初の試みだから、しょうがない部分も。

次に「ドイツ」。
当時はイギリスとフランスが2大強国だから、わが国もイギリスに追いつき追い越せ、と産業革命にまい進。
やはり組合(ドイツ工作連盟)や学校(バウハウス)をつくった。
さすがに、イギリスの成功と失敗を見てきているから、大成功。
たくさんの有名人の中でも、まずは、バウハウス第3代校長のミース・ファン・デル・ローエを押さえればよいのでは。

以上の、イギリス-ドイツ、の一騎打ち(戦争じゃないが)の構図をまずつかむ。

次に、ドイツ隣国の「オーストリア」と「オランダ」の2つは、ドイツの影響が飛び火した、と考えるといいです。
あくまで派生的な動き、ですね。

「オーストリア」は、過去のデザイン規範と「分離」して、新しい規範を作ろうとしたから「分離派」。ゼツェッシオン、セセッションとも。
オットー・ワーグナーのウィーン郵便貯金局を押さえておく。
(作品よりは、むしろ論考が多い感じです。アドルフ・ロースとか。)

「オランダ」は、工芸品や建築の「形」の議論をちゃんとしたい、ということで、「デ・スティル」、すなわちザ・スタイル。
スタイリング先行だから、「材料」の話題はちょっと置いておくニュアンス。赤や青などの「原色」で塗って、材料を見えなくする発想が斬新です。
「リートフェルト」のシュレーダー邸やレッドアンドブルーチェアが代表。

以上が、ヨーロッパの北側半分の動きです。

さて、
ヨーロッパ南側(地中海沿岸)の国々は、産業革命が50年ぐらい遅れます。
農業国だから、工業化は急務じゃなかった、というのが通説。
国王のお金は、産業革命じゃなくてベルサイユ宮殿に使っちゃったようですし。

フランスで、19cおわりごろに「アールヌーヴォー」のアイディアが生まれる。
植物などにみられる有機的な曲線、曲面をデザインモチーフとするもので、瞬く間に欧州全域を席巻。
(純粋な枝の文様のアラベスク(中世イスラム)とは異なっていて、あくまでモチーフ扱いです。)
ドイツではユーゲントシュティール、スペインではモデルニスモ、などとも。
ガウディの一連の作品には、どうみてもアールヌーヴォーの影響が明らかです。

ヨーロッパの地図上の位置関係でプロットすれば、以下。

「イギリス」
モリス
アーツアンドクラフツ
         ↓
「オランダ」← 「ドイツ」→「オーストリア」
リートフェルト ミース   ワーグナー
シュレーダー邸 バウハウス ウィーン郵便貯金局
---
「スペイン」← 「フランス」
ガウディ    アールヌーヴォー

ちなみに、フランスからその後に出てくる「アールデコ」は、定規とコンパスで描けるデザインモチーフ。
ただ、フランス国内ではあまりパッとせず、隣国イタリアで花開きます。
ランボルギーニとか、フェラーリとか。

あぁ、たったこれだけ覚えればよいのか、と(笑)

ただ、この枠組みは第2次大戦中まで。
戦時中のドイツの暴走をきっかけに、ミースをはじめ多くの芸術家はアメリカに亡命。
アメリカで商業的な成功をおさめることになります。

(ミースのファンスワース邸(アメリカ,シカゴ)は、「インターナショナルスタイル」とか「ユニバーサルスペース」などといわれますが、当時のアメリカらしい、なかなかに高飛車なネーミング、という気もします(笑))

だいたい以上なんですが、
このような話を詳しい人にすると、「なぜこの人をorこの建築物を入れないのか」、といった話題がよく出てきます。

今回の枠組みは、あまり詳しくなかったり、苦手意識のある人に向けた初回のレクチャ法と思ってください。
思い切ってバッサリ切ることで、見えるものがあるのでは、という考え方です。

思い入れのある建築家や建築物がのちに出てきたときに、この枠組みの中に位置付けていけば、知識を増やしやすいのでは、と思います。

なお、今回の枠組みからは、コルビュジエはあえて外しています。
もう少しだけ新しい時代の側の人だから。
(April 26, 2018 A.Iino)


思わずコーヒーを飲みたくなる街、そこは、はたしてどんな音に包まれているのか

新潟工科大学工学部建築学科3年「地理情報学」,サウンドスケープに関するレポート課題の解答例として提示,2012.10.31

.
 新潟県長岡市古正寺地区。ここは、住み始めてから徐々に開発が進むが、うれしいことに、「都市無計画」さを感じさせない、ユルやかでおしゃれな空間がひとつずつ作られてきている。そして、徐々においしいコーヒーの飲めるポイントが、私自身の努力もあって(?)だいぶ開発されてきた。いや、お店が増えたのではない。いや、お店も増えたが、ここで言っているのは、コーヒーを口に含むと幸せになる屋外空間である。

 古正寺地区の中央には、文字通りの「古正寺中央公園」、1.3haがある。最近、コーヒーを飲みながらのサウンドマップづくりに夢中な私には、天気の良い週末の午後、街のサウンドに耳と体を預ける上で、まさに絶好の場所の一つとなっている。公園に面したブルックリンのパン屋さんから無料で1カップいただけるアメリカン、そしてもちろん、あたたかくて甘い「メープルフレンチ」を購入するわけであって、そのまま、公園内の簡易屋根のあるテーブル&ベンチに腰掛ける。

 経験的なものであるが、おそらく、ここでのコーヒー&メープルフレンチタイムが格別なものとなる時間帯は、13:50~14:25ごろに限定される。このとき、暖かな陽気の中で、街の基調音が交通音から風にそよぐ木々の音にちょうど切り替わる、つかの間の時間帯だ。お昼休み、車が一瞬減り、そこに、メープルが絶妙なタイミングで焼き上がってくる!公園には、ピィーピィーという鳥の鳴き声が断続的にこだまして、一気に街の時間が止まる。このとき、私の体も無意識に時間を止めようとする。森林浴のオゾンに勝るとも劣らない、都会のオゾンエリアが誕生する。

 静止音の化学ポテンシャルを一身に浴び続けていると、また徐々に交通音が頭をもたげてくる。そして、体があらためて街のビートを刻み出す。街の音と生体リズムとの交錯が、あらたなエネルギーを生み、徒歩を渇望する。ゆるゆると15分ほど、0.8kmほど西に歩く。そこには、行きつけのTULLY’s COFFEEだ。ジャジーな店内に入り、プリペイドカードに1000円を入れて、「本日のコーヒー」。今ハヤリの営業形態の、併設TSUTAYAから新刊をそのまま持ち込めるメリットは絶大だが、あえてそうせずに、スケッチブック&0.9mm-2Bのシャーペンを取り出す。サウンドマップをゆるゆると描くには、これまた絶好のアウトドアテーブルだ。西日と、建物の外部柱の影とのミックスが、大変に心地よい。耳を澄ませば、基調音は駐車場内を旋回する数台の車たちだ。思い出したように鳥の声、植え込みの中の虫の声。さて、そこでコーヒーを誘う象徴音は何か。かすかに室内から漏れるジャズ、スプーンと皿のカチャ!か。新刊のページをサラッツとめくる音か。ここは、街の人たちのくつろぎの音があふれる。つまりは、「くつろぎのかたまり」ともいえる音の綿に包まれる、これぞ土日のコーヒータイム。街にとけ込む自分に、チョットお高いものを口にできるところが、実にうれしいことに気づくのである。

 音=時間である、という人がいる。オーケストラ壮大な楽章構成もそうであるし、小節内のビートもそうである。音を分解すれば、周波数の異なる正弦波が重なっているだけだ。スケールは違えど、物理的に時間tは一定で刻まれ、空気の振動の継続が精密に計算できる[1]。しかしながら、我々が環境から感じ取るリズムは、実は伸縮自在であって、それは第一義に、環境音によるところが大きいことを、我々は知っている。これぞ、我々にとっての音=時間の真実だ。おそらく、サウンドスケープを考えることは、学術的な分析のテクニックを学ぶことではない。それは、街の人たちの五感からくる時間のとらえ方に共感できるか、そして、街のアフォーダンスを読み取れる確固たるアンテナを持っているか[2]、ということなのかもしれない。

 土日にコーヒーのおいしい空間を求めてサウンドマップを積むこと。このことが、自身のアンテナの感度を上げるプロセスになっている。そう、日々実感しているのである。
(Oct.31, 2012 A.Iino)

■参考文献
[1] 桜井進ほか;「音楽と数学の交差」,大月書店(2011)
[2] エドワード・S. リード他;「アフォーダンスの心理学―生態心理学への道」,新曜社 (2000)



音楽を通して気づくこと

広報かしわざきNo.895,2005年1月掲載


 今年夏の学生ギターコンクール本選で小6の娘が選んだ曲目はバッハの「リュート組曲第1番」。セルシェルの演奏を真似るところから始めてよくここまで自分なりの表現を追求できたなぁ、と感心。結果、小学生高学年の部で全国第2位でした。これまで私が直接演奏法を指導してきました。保育園に通う娘に音符を教えるなど根気は要りましたが、日々吸収していく姿はとてもほほえましい。

 コンクールではCDの演奏を上手く真似するだけではダメです。入賞するのは「この曲はこう弾くべき!」という新しい「提案」ができる演奏家です。ギター界に新しい風を吹き込む可能性のある卵を見つけようとしているのです。どんな世界も同じ。「女性の髪はこうカットすべき!」という提案が受け入れられたらカリスマ美容師、「このご家族にはこんな家はどう?」というデザインが受け入れられたら立派な建築家です。

 ・・・だから、「この部屋の気温の測り方はこうすればいい」という「提案」をして検証すれば卒業論文は合格なんだよ。さ、今日の研究室ゼミはおしまい。来週は皆面白い「提案」を考えてきてプレゼンすること!(一同、「え~っ」!)(笑)
(Jan.,2005 A.Iino)

参考:GLC学生ギターコンクールホームページ
http://www.ne.jp/asahi/music/guitar/glc-ford/glc.html




日々是「提案」

日本建築学会北陸支部広報誌「AH!」第27号,2004年12月掲載


 ウィークディの激務から開放されてようやく休日!さあ、ねるぞ!というのが、まあ私にとって普通の休日のあり方ですが、ある時少しパターンを変えてみました。5歳の息子に「はい、これスケッチブックと鉛筆。100均のだけど36色のペン。さ、いくよ」「どこへ?」「いーから」・・・「かっこいい建物をみつけてごらん」「あ、これいいねー」息子が目をつけたのは近くのスパゲッティ屋さん。おもむろに駐車場に腰を下ろして、2人ならんでサラサラとファサードのスケッチ開始。5歳のクセに以外にウマイなぁ。ちゃんと建物になってる。いい建築家になるぞ。まだ色は塗らずにそのままスーパーの喫茶コーナーに行く。パパのエスプレッソはあげないが、息子のソフトクリームは一口もらう。そしておもむろにコピックを取り出して彩色。できた!帰ったら壁に貼ろうね。きっとママもほめてくれるよ!

 話は変わって、今年度前期、本学建築学科主催で住宅コンペを開催しました。実際の施主さんと敷地を対象に、学生からプランを募集したところ任意で100編以上の作品が集まり、柏崎駅前のスーパーの一角を借りて展示会。買い物にこられたお客さんから多数投票してもらって優秀作品を決めたりと大いに盛り上がりました。この企画は既に今年3回目。施主を見つけるのは骨が折れますが、学生たちにとっては「自分の提案した建物が建つかもしれない」という期待で面白がって取り組むから、いいものがバンバン出てきます。

 「スケッチしに行くぞ」「温泉に行くぞ」「遊園地に行こう」「住宅コンペやるぞ」「こんな住宅はどうだ」・・・どんな世界でも「こうしたらいいんじゃないかな」というのを情報発信してみると、家庭も職場も一気に明るくなります。明るい顔で言ってみて、周りがそれに乗ってきたらしめたもの。もちろん、元気のない人や気の合わない人、世の中いろいろなわけですが、悪口言ったりこき下ろしたりじゃなくて、こんなのはどう?という「提案」型の会話で物事を進めていくと、毎日がとても楽しくなりますね。

 さて、新潟県中越地震から1ヶ月、被災状況は今も連日TVなどで放映されているとおりです。ボランティアの方々は炊き出し、洗濯、トイレ掃除、被災者の話し相手と、自身ができることは何かを常に模索しながら動かれています。そして、現地に来られなくても物資提供や義援金という形で協力されている方々も数え切れません。そう、「私にはこんなことができますよ」という一つ一つの「提案」は、どれほど被災者の方々を勇気付けているか計り知れません。建築の一端に携わるものとして、また大学教員として私自身すべきことは多々ありそうです。私の立場で何が提案できるのだろう、と自問自答の日々が続いています。
(Dec.,2004 A.Iino)




-環境を解きほぐす,環境をデザインする-

日本リモートセンシング学会誌Vol.24, No.4 (2004) 研究室紹介コーナー,pp.420-421,2004年秋号掲載


1.はじめに
 2003年度の秋季大会が新潟県長岡市の「ハイブ長岡」にて開催されました。このとき私は、実行委員長の長岡技術科学大学教授 向井幸男先生とともに、大変楽しく皆様のお世話をさせていただきました。その節はありがとうございました。至らない点は多々あったことと思いますがご容赦ください。
 柏崎は最近何かと話題の尽きない町ですが、海水浴のメッカで、米山も大変美しい。エネルギーに関する先端的な情報発信も進められています。そんな柏崎に新潟工科大学が開学してから今年10年目を迎えました。学生数は全学で1000人程度のコンパクトな大学で、工学部4学科、修士課程2専攻、博士課程1専攻という構成です。最近は、蓮池薫先生が朝鮮語を講義されているということで一躍大学の名前が知られるようになりました。
 実際、大学の周りには何もないので学生たちは大学に来るしかない。私も仕事をするしかない。柏崎は勉強するにはとても良い環境です(笑)。そんな大学の1研究室をご紹介しましょう。

2.本学建築学科の学生たちの大学生活
 今年度前期、私は学生向けに「住宅設計コンペティション」を主催しました。私の知り合いのご夫妻が実際に所有されている土地と建物の要求条件をもとに、本学の建築学生たちからプランを求め、公開展示会を開催したのです。しかも「CADはダメ」というイマドキの強烈なシバリでアナログな絵心を追求させたのですが、100を超える鉛筆やペン描きの応募作品が集まり、ギャラリーからの投票を受け付けて入賞作品を決めました。最優秀賞は建築2年の作品で、鉛筆1本で仕上げたプロ並みのプレゼンでした。ちなみに、私もペン画作品を参考出品しましたが、学生たちには負けていませんよ。うまいもんですv(^^) 本稿をご覧の皆様、新築住宅をお考えなら本学学生のアイディアを募るのはいかがですか。建築学科学生一同、是非とも協力させていただきます!
 このように新しい設計コンペの案内が学科に届くたびに、学年を問わず建築の学生たちはインスピレーションを得たテーマに想いを膨らませ、積極的にアタックしています。学外コンペの入賞作品の数もだいぶ増えてきました。このように学生たちは建築設計のバトルを楽しみながら勉強を続け、3年後期になると研究室に所属して学生それぞれがテーマ探しを始めます。卒業研究では「研究論文」か「設計制作(ディプロマ)」のいずれかのコースを選択します。現在在籍する卒研生は第7期生です。

3.研究室の研究活動
 私の研究室のメンバーはこれまで、学部・修士・博士の学生が毎年コンスタントに在籍していましたが、今年はD3が1名、卒研生6名という構成です。6名のうち5名はディプロマコースを希望し、既にいくつかの学外コンペに応募するなど、積極的に設計活動を行っています…さて、こう書いてくると、はたしてリモセン学会誌にご紹介するにふさわしい研究室なのでしょうか?少々疑問ではありますが…まあ、話を先に進めましょう。
 研究室活動のキーワードは2つ。「環境を解きほぐす」、そして「環境をデザインする」です。研究論文コースの学生たちとの研究成果としては、リモートセンシングの関連では、シンチロメータや赤外線放射カメラなどを用いた都市熱環境の実態把握のための計測技術の開発を行ってきました。既に関連するいくつかの論文は学会誌に発表しています。その他、建築環境工学の関連では、小学校・大学の教室や老人ホームなどを対象とした熱・空気環境の実測調査、あるいは鉄道駅ホーム上の熱環境調査など、行政や企業などとの共同研究を数多く手がけてきており、主に日本建築学会などに成果を発表しています。最近では熱や風に関する数値解析にも力を入れており、理論に裏打ちされた形での環境デザインに結びつけようと努力を続けているところです。
 そして、ディプロマコースの学生たちとは国際コンペなど比較的ハイレベルなコンペに取り組んでいます。あまり目的のはっきりしない調査旅行に学生たちと出かけ、知らない土地で夜通しムダ話をしながらも、思わぬところでいいアイディアが出てくるところなどは設計活動の醍醐味。ちなみに、衛星や航空機のリモセン画像は実は都市設計などのプレゼンにはもってこいの素材なんです!フィジカルミーニングのきわめて乏しい奇怪な(?)画像処理アルゴリズムを施してハデな画像に作り変え、CGで作り込んだ設計図面のバックに入れ込んだりすると、とても作品が引き立つことも…リモセン学会の皆さんからは「画像の使い方が邪道!」と怒られそうですが…

4.日々授業と格闘…
 私は卒研生と研究を進めるほか、学部の設計製図、CAD、環境工学などの教鞭をとっています(何と私は毎日が1限から授業!)。学生たちは皆素直で、こんなことをやりたい、と内に秘めて入学してくる学生がとても多い。つまり、学生たちのモチベーションが上がるシカケを用意しておけば自然に食いつきが良くなるわけですが、そうは言っても、私が担当している建築2年の設計製図は月曜の朝一番から。どうやって70名近くの学生に遅刻させずに製図室に来させるか?ある秘策を実行しましたら、ほとんどの学生が開始時間前に来るようになりました。さて、私は何をしたのでしょうか?詳しくは懇親会のときにでも(笑)。
 さて、当研究室のHPを開設しました(下記URL)。ここにご案内しておりますとおり、当研究室では皆様の新築住宅のお手伝いができます(本当か?)。そして、出来上がった住宅の熱・空気環境のサーモグラフィ調査もお任せください。調査結果はしっかりリモセン学会の発表ネタにさせていただきます!
(Autumn 2004 A.Iino)




「みんなで設計」の夢物語

日本リモートセンシング学会誌,Vol.21, No.1, p.104, 2001年3月掲載,一部改変


 ショッキングだった。1年の女子学生から「設計製図の授業でCADを教えてくれない。期待と違った。もう大学をやめたい」。おっと!それは誤解だよ。上級の学年に,ほら「情報処理実習」ってあるでしょ。ここでボクがやるから安心して・・・

 なぜ「建築CAD」か。製図の仕上がりが早そうだから?製図職人のセンスがなくてもきれいに仕上がるから?はては、建築パーツをどっかからダウンロードして並べればいいだけだから?まあ,どれも大方正解。だが,何より「コンピュータで設計するほうが楽しいから」だ。最初っから立体モードで,グルグルまわしながらエスキース。気に入ったところでレンダリングすれば写真のような出来映えになる。自分のイメージがすぐにリアルに現れるのだから,紙に平面図をセッセと書くのとは比較にならないほど面白いのだ。

 そんなものを使いこなしている君たち(私も含めたい(笑))の設計ツールの未来像は・・・アイトレックのようなメガネをかけて,自分がバーチャルの計画敷地内にいる。敷地周辺の映像は衛星からメガネにリアルタイムで伝送されていて,メガネについているチップで設計者の視点からの映像にリアルタイムエンコーディングされている。そして,サマンサのように鼻をヒクヒクさせると(古い?)なんと!そこにリアルな柱と壁が現れる。大きな一枚もののガラスを人差し指でひょいともってきて,居間を外にやさしく開放してみる。よし,屋根は陸屋根にして屋上に芝生を敷いちゃおう,ヒクヒク!ほら,メガネの中だけに,設計した建物が実物大で存在する・・・こんなメガネでみんながサマンサになれるなら,データを共有モードにして,お父さんもお母さんもお子たちも,みんなでよってたかって自分たちの新しい家を「設計」できるね。

 昔は「紙」と「エンピツ」しかなかったから,これらを精一杯生かした製図技術が確立された。これからは?そんな制限はなにもない。大学やめたい,なんていわないで,新しい設計ツールをいっしょに作り上げてみようよ。ね,面白そうでしょ!・・・それにはね,CADだけじゃなくて,「リモートセンシング」っていうのも勉強してみる価値があると思うよ。じゃ,早速なんだけどさぁ,このリモセン学会の英語の論文,読んできてボクに教えて(笑)。
(Mar., 2001 A.Iino)





学生たちとギロンする、ということ

新潟工科大学後援会広報誌第5号「藤橋の丘」,1999年12月掲載

.
 「先生、ここまではできたんですが、この先どうしたらいいんですか」「うーん、そうね。この辺がちょっと気になるが、どう?」「確かにそうですね・・・」「じゃ、どうしよっか?」「・・・例えばこうしてみようと思うんですが、どうですか」「ああ、なるほど。うまいうまい。その線で少し考えてみたら?」・・・研究室での私と学生のやりとりの一コマ。

 先生、次にどうしたらいいんですか?などどは、私が学生時代にはとうてい言える雰囲気はなかった。私のボスだった先生方はそれだけ、学生に明確な考え方を求めたし、かなり考え抜いたレジュメを用意していかなければ話も聞いてもらえなかった。その点で「甘いかな」とは思うことはある。

 学内外の会議、またゼミや授業も含めて、とにかくギロンの場に沈滞ムードが漂う状況というのが好きではない。委員会の幹事などを務めることも多くなってきたが、常に心がけているのは、「誰もが自由に発言しやすい場の雰囲気をつくること」「相手の意見を一切否定せず、皆が考えられるあらゆる意見を目の前に出していきながら、少しずつ全体の道筋を作り出すこと」。いわゆるブレーンストーミング(BS)の考え方だ。

 ここ数年、会議や授業の形式は変わりつつある。同じ部屋で顔をつきあわせるのではなく、書類の配布、意見交換、レポート提出まで、かなりの部分を電子メールベースで進めてしまうことも珍しくはない。形式が変わっても座長(先生)たるもの、まず正論をどれだけ引っぱり出せるか、が勝負だ。それらをつなぎ合わせてストーリを構築するとき、全体のバランスや現状のしがらみをどれだけ理解して適切な流れを作り出せるか(それも短時間に!)、これは座長の手腕にかかっていよう。

 大学での学生たちとのギロンには社会的なしがらみがなく理想的、というのが一般論だが、設立間もない本学は学生にとって特に恵まれた環境と言っていい。この環境を生かしたゼミや授業を模索中だ。一方で、純粋に研究を進めるだけではない、「学生を鍛える」、という観点からは、あえて学生に無理に発言を強いたり、レポートを突っ返したり、というBSの主旨とは異なる手法(?)をとることも、ままある。そのあたりのうまいバランスはどこにあるのか・・・?それこそギロンのあるところかもしれないが。
(Dec., 1999 A.Iino)




wt2_top.gif